生きものとしての存在意義

コラム

ChatGPTが世界を大きく
塗り替えています。

ろうそくからガス灯に、
ガス灯から電灯に。

ラジオがテレビに。
テレビがインターネットに。

そしていま、時代は
AI(人工知能)が私たちの
生活を一変させようとしています。

明るくなって何を叶える?

物理空間に留まらず、
情報の空間領域にまで、光が
届くようになって来ました。

より明るく、広く、世界に
光が届くことは嬉しいことです。

世界を照らす光が増すことで
私たちに新しい可能性が開けます。

私たちがやらねばならなかった
ことをAIや、AIを実装した機器が
代わりにしてくれます。

その分、余力が生まれます。

私たちはその余力を活用して
これまでなしえなかったことを
実現させていくことができます。

いまほど、物理的にも経済的にも
政情的にも自由な時代はありません。

「思考の制約」さえ取り払えば
どんなことでも叶えられる
機会に
満ちあふれています。

人間であるあなたは何を叶え、
何を成し遂げたいでしょうか?

AIとの棲み分け

AIも、私たち人間も、
これまでなしえなかったことを
叶えていくことができます。

AIができることは
AIに任せるとして・・・

私たちは、何を成し遂げて
いけばいいんでしょうか。

AIとの棲み分け。

ここでポイントになってくるのが
自己の「存在意義」ですね。

つまり、

自分という存在の個性について
意識を向けることが大切です。

いわゆるアイデンティティですね。

かみ砕くと、

私は何者で、だれの者か?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

です。

AIと被らない道で
私たちが追求できる可能性は、
ここにある
と思います。

自分がもっともこだわる領域で
もっともこだわる技を使って
特定の誰かに喜んでもらう。

この具体化ですね。

個性のメリット/デメリット

これをふだんから考え
実践している人は、どんどん
その精度が高まっていきます。

でも、向き合っていない人は、
曖昧模糊として、やがては
自信を失っていきます。

そして、その内なる空白を
埋めるために外の世界を
追うループに入ります。

これでは焦燥感が募ります。

機械の一部のように、
規格化、標準化の精度を
磨いてきた人は陥りがちです。

つまり家族や社会からの、

・こうなりなさい
・これはするな

というオーダーに
素直にしたがってきた人ですね。

お得な道が反転する

これまでは、こちらの方が
トータル「お得」というケースも
多かったかもしれません。

でもこれからの時代、
この川を下っていくと
滝つぼ・ド壺が待っています。

なぜなら、この路線は
AIとモロ被りだからです。

昭和の充実パターンは
令和時代では不遇パターンに
なるかもしれません。

健康面と経済面の相関

健康の他者への依存度と
経済の他者への依存度には、
相関があるように感じています。

これに気づいた人は
副業・本業問わず自分独自の
可能性を求めて事業を始めています。

インターネットのインフラが
整い、だれでも開業費を抑えて
事業を始められるようになりました。

人やAIと競う路線よりも
自分独自の強みで輝く道を
切り拓けるようになりました。

私の周りでも、事業を
なんちゃってからはじめて、

  • 正規社員をしながら本業より稼げるようになった
  • コミュ障だけど税金対策が必要なほど稼げるようになった
  • 前職では自殺未遂をするほど悩んだけど、本来の自分に立ち返り、唯一無二のカウンセラーになった

などの「路線変更」によって
滝の手前で折返し、上流に
登る人が増えています。

あなたという「舟」は、
どこに向かっているでしょうか。

家柄社会、学歴社会、
実力社会ときて、つぎは
どんな社会になっていくのか?

人生の節目に現れる声

ひところ流行った、

『ライフ・シフト:
誰もが100年生きうる時代を
どう生き抜くか?』

ではありませんが、人生には
ときどき節目が訪れます。

  • AIやライバルに置換されてリストラされたとき
  • 大病をわずらったとき
  • 家族のケアを余儀なくされたとき
  • 他の仕事を始めたくなるとき
  • 定年退職するとき
  • 命拾いしたとき
  • 何者かと強烈な縁ができたとき
  • 啓示を受けたとき

・・・などですね。

そのときに、
内なる直感にフタをしていると
観て見ぬ振りで、やり過ごします。

そういうタイミングも
何度か経験するかもしれません。

私は、何度も経験してきました。

直感を黙殺する態度ですね(^_^;)

でもどこかのタイミングで
無視できないときが訪れます。

どうしても無視できないときが。

その声の存在は、まるで
今世のシナリオとエンドを
熟知しているかのごとくです。

逆算できる直感さんが、
「いまが最終電車だ」って
伝えてきてくれている感じ
です。

この感覚、とても大切です。

私は何者で、だれの者か?

内なる声・・・大切です。

これを無視しちゃう人が
いるかもしれないなと思い
念のためにお伝えしています。

私の人生で言えば、

地元の学校を辞めた時(13歳)

地元の学校に戻った時(15歳)

中卒の社会人に飽きた時(17歳)

高校の教員になった時(22歳)

公務員を辞めた時(27歳)

環境活動から離れた時(36歳)

起業を決断した時(40歳)

介護うつになった時(44歳)

こういった節目がありました。

結構、多いですね^^

その節々では、自己を
見つめる機会を持ちました。

  • 施設の寮母さん
  • 鉄工所の先輩
  • デザイン科の上司
  • ゼミの教員
  • NPOでのボスや同僚
  • ヴィパッサナーのセンター員
  • 内観研修所の所員
  • ビジネスのメンター
  • スピリチュアルのメンター
  • 兄、親友、ソウルメイト、仲間・・・

いろんな人に支えられながら
自問を繰り返してきました。

自問→仮説→実行→再び自問の
サイクルを回してきました

私は何者で、だれの者か?

の自問ですね。

人との対話は自問の投影

40歳で起業してからは、さらに
このサイクルは増していきました。

コンサル業で起業しましたが
テーマは「人間が関わることすべて」
でしたので、色いろ経験しました。

健康のこと、心の問題、
人間関係、精神世界、
お金のこと、事業のこと、
表現の世界、制作の世界・・・

お客さんの自問にお付き合い
するわけですので、問いの数は
桁外れに増えていきました。

そして、その営みは私自身の
自問の写し出しでもありました。

相手は自分

だからどんな背景を抱えた
相談者でも分け隔てなく敬意と
尊重をもって取り組んできました。

お役に立てた案件もあれば
あまり貢献できなかったものも
あったかもしれません。

私にとってその経験と感触は
蓄積されていきました。

十数年の実践を重ねてきて、

私は何者で、だれの者か?

の自問の精度もジワジワと
高まってきました。

他と被らないお役目さがし

この一人ひとりの自問からの
具体化は、独自性が問われます。

つまり、他と被らない。

AIだけでなく、他の人とも
他の事業体とも被らない。

そんなアングルを
見つけたいわけです。

これだけモノや情報が
あふれかえるなか、それを
見出すのは容易ではありません。

まぁ、容易だったら
つまらないとも言えます。

だからこの問いは生涯をかけて
磨きつづける営みに思います。

改めて、大切な自問

私は何者で、だれの者か?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この答えだけは、
だれも答えてくれません。

AIもね(ヒントは与えてくれます)。

自分がもっともこだわる領域で
もっともこだわる技を使って
特定の誰かに喜んでもらう。

この具体化ですね。

この記事をお読みいただいている
あなたには、これを好機ととらえて
考えてみることをお勧めします。

あなたは、どんなお役目を
果たしていきたいでしょうか?

私が上流で見つけたもの

小松さんは、その自問で
どこにたどり着いたんですか?

小松さんが遡った上流では
何を見つけたんですか?

小松さんにとっての、

  • もっともこだわる領域
  • もっともこだわる技
  • 喜んでもらう特定の誰か
    (しかも他と被らない)

は何ですか?って知りたい人も
いるかもしれません。

私の場合の、
そのひとつの発露は、

野草でつくる手作り酵素

になります。

管理植物「外」の世界

「野菜」ではなく「野草」です。

「野菜」と「野草」は
一緒くたにされがちですが
現代人と縄文人ぐらい違います。

機械に頼らなかった縄文人のほうが
生命力は高かったと思います。

そして、
野草は今も縄文時代なみに
パワーがあります。

また「薬草」ではなく「野草」と
しているのにも理由があります。

すべての植物には薬効、
つまり固有の役割があります。

だから薬草と薬草でないものと
分ける段階で分離・偏りが生じます。

そこでここでは「野草」
という言葉を選んでいます。

私が好きな世界観に、

  • 多様性
  • 全体性
  • 協奏性

があります。

各地域で自生している
野草のみでつくる手作り酵素は、
この3つの世界観をみごとに
体現してくれます。

これを指導する人は
そうそう存在しません。

師のハーブを超える道のり

私が野草に興味を持ったのは、
起業前夜に師事していた
米国人メンターのつくった
自家製ハーブでした。

腸内洗浄のための
独自配合された薬草でしたが
そのパワーに感動しました。

その1つひとつの薬草のパワー。

そして薬草の特別な組み合わせ。

その妙にシビれました。

「こんな世界があるのか」と。

悟りはつねに脚下にあり

それから世界中のハーブ、薬草を
入手しては人体実験する日々が
つづきました。

実験を重ねるなかで
見えてきたことがあります。

  • すばやく効くものは長続きしない
  • 野草はすべて薬草としての機能を宿す
  • 人に育てられた植物よりも野生植物のほうがパワーがある
  • 採取された場所と摂取する人の物理的/心的距離が近いほど深く効く
  • 野草は鮮度が命(地面から切り離して3時間以内に成分抽出)
  • 薬草成分の直接摂取よりも、その成分でつくる発酵微生物にこそ、細胞を賦活させる本質が宿る
  • 生命のカギは、酵素と微生物がにぎる
  • 自分の常在菌と菌界微生物との対話が要
  • 生きものは生きものにしか治せない

メンターの薬草に始まり、
野草との15年のたわむれによって
こういった真実をつかみました。

多様性、全体性、協奏性

そこで行き着いたのが
野草でつくる手作り酵素です。

先ほどの項目で言えば、

もっともこだわる領域:
多様性、全体性、協奏性を
意識した健康づくり

もっともこだわる技:
多様性、全体性、協奏性を
極めた発酵文化「手作り酵素」

喜んでもらう特定の誰か:
ご先祖から受け継がれてきた
常在菌に自分の健康を託せる人

となります。

15年間、自問→仮説→実行
→再び自問のサイクルを回してきて
ようやく確信にたどり着きました。

野草でつくる手作り酵素の普及

──これが私にとって
唯一無二で他と被らない、

私は何者で、だれの者か?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

の、ひとつの発露となります。

あなたご自身の自問に、
少しは参考になるでしょうか?

ぜひ、あなたのお役目、

もっともこだわる領域
もっともこだわる技
喜んでもらう特定の誰か
(しかも他と被らない)

に関する内なる声に
耳を傾けてみてください。

それは、あなたが
この世界に照らせる光
です。

今日も好き日をお過ごしください。

いつもありがとうございます。
小松より

追伸

記事の中で、

家柄社会、学歴社会、
実力社会ときて、つぎは
どんな社会になっていくのか?

という問いを投げかけました。

あなたはどう思われるでしょうか。

私は「協奏社会」になると考えます。

  • 人と動・植物界との協奏
  • 人と菌界との協奏
  • 人の内側と外側の協奏
  • 時空を超えた存在の協奏
  • AIやVRとの協奏

多様性、全体性をもった
協奏の社会が現れます。

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